渕端先生叙勲祝賀クラス会
大阪大学歯学部の26回生の担任だった渕端孟名誉教授が昨年秋に瑞宝中綬章を受章されました。
少々遅まきながら、26回生クラス会としての祝賀会を昨日行いました。先生はまだまだ若々しくお元気ですがもう80歳を超えておられます。
昔は歯学部の教授で学部長、病院長経験者はたいてい叙勲されていたそうですが、ある時からルールが変わって最近はまったく叙勲者がなかったとのことです。そのルールとは講師以上30年以上の履歴を有するというもので、以前は阪大の教授の定年が63歳でしたから、講師以上30年という条件を満たすためには33歳ぐらいで講師になっていないといけないわけでかなりハードルが高いのです。
渕端先生の先輩教授の方も本来なら叙勲されて当然の名誉教授が多くおられ、渕端先生は私は非常にラッキーだと謙遜されておりました。
クラス会になると毎回話題にのぼるのが、わが26回生の「国家試験願書出し忘れあわや全員国家試験不合格事件」です。歯科医師国家試験の願書を自分たちで書いて出すということを全員忘れており、なんとなく大学が出してくれるのだろうと放っておいて、気がついた時は願書締め切りの数日前でした。
担任の渕端先生や当時の学部長の先生が厚生省にかけあって下さって、なんとか締め切りぎりぎりに願書提出ができて事なきをえました。
今でも覚えているのは、願書に戸籍にかいてある通りに名前や住所を書かねばならず、極端な話、漢字一文字でさえ、本来はねるべきでないところをはねていたり、点がないところに点が書いてあったとしても、その通り忠実に願書に記入しないと不合格になるということでした。
付け加えますと、当時は国立大学の歯学部は国家試験合格率がほぼ100%で、阪大歯学部では我々の先輩でかつて国家試験に不合格だったのは2名だけ、それも筆記試験は合格したのに実技試験(我々の頃までは実技試験がありました)で致命的失敗をして不合格になったのでした。合格率100%というのは我々には逆に大きなプレッシャーになっておりました。
渕端先生は本来なら全員不合格になるような事態を乗り越えた我々26回生は非常にラッキーな学年だと仰っしゃって下さり、我々クラスメートもこれからもっと頑張らねばならないと決意をあらたにしたのでした。
昔は歯学部の教授で学部長、病院長経験者はたいてい叙勲されていたそうですが、ある時からルールが変わって最近はまったく叙勲者がなかったとのことです。そのルールとは講師以上30年以上の履歴を有するというもので、以前は阪大の教授の定年が63歳でしたから、講師以上30年という条件を満たすためには33歳ぐらいで講師になっていないといけないわけでかなりハードルが高いのです。
渕端先生の先輩教授の方も本来なら叙勲されて当然の名誉教授が多くおられ、渕端先生は私は非常にラッキーだと謙遜されておりました。
クラス会になると毎回話題にのぼるのが、わが26回生の「国家試験願書出し忘れあわや全員国家試験不合格事件」です。歯科医師国家試験の願書を自分たちで書いて出すということを全員忘れており、なんとなく大学が出してくれるのだろうと放っておいて、気がついた時は願書締め切りの数日前でした。
担任の渕端先生や当時の学部長の先生が厚生省にかけあって下さって、なんとか締め切りぎりぎりに願書提出ができて事なきをえました。
今でも覚えているのは、願書に戸籍にかいてある通りに名前や住所を書かねばならず、極端な話、漢字一文字でさえ、本来はねるべきでないところをはねていたり、点がないところに点が書いてあったとしても、その通り忠実に願書に記入しないと不合格になるということでした。
付け加えますと、当時は国立大学の歯学部は国家試験合格率がほぼ100%で、阪大歯学部では我々の先輩でかつて国家試験に不合格だったのは2名だけ、それも筆記試験は合格したのに実技試験(我々の頃までは実技試験がありました)で致命的失敗をして不合格になったのでした。合格率100%というのは我々には逆に大きなプレッシャーになっておりました。
渕端先生は本来なら全員不合格になるような事態を乗り越えた我々26回生は非常にラッキーな学年だと仰っしゃって下さり、我々クラスメートもこれからもっと頑張らねばならないと決意をあらたにしたのでした。
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