椋木先生からの電話

水曜日になるとあの電話のことを思い出します。

7、8年前のある水曜日の夕方。たまたま自宅に戻ってくつろいでいた私に大学の2年先輩の椋木(むくのき)先生から電話がかかってきました。

椋木先生は、卒業後しばらくの間私の所属した歯科麻酔科の勉強会に参加して、心電図の勉強などを一緒にした仲です。その後堺で歯科医院を開業しておられました。

椋木先生とはその時電話で1時間から2時間ぐらいしゃべった記憶があります。その内容があまりにも衝撃的すぎて思わず私のほうが聞き入ってしまったというのが本音です。

大学教授を途中で辞めて咬合研究所を主催している◯山という元教授がいます。我々の世界では有名な人です。椋木先生は何年もの間、この◯山先生の主催する咬合に関する高額な講演会に何度も何度も参加して一番前の席で講演を聴いたといいます。ところが、肝心のところになると◯山先生は話をごまかして決して本当のことを言わなかったのだとか。

椋木先生は何度も講演後控え室に押しかけてそれはどういうことか本当のことを教えてくれと食い下がったけれど◯山先生は本当のことを言わなかったとか。

ところが、ある時、椋木先生は◯山先生が隠していた咬合に関する極意をとうとう会得してしまったのだと。

それはなんでも、人間の咬合(噛み合わせ)は顔がひょっとこになるような顎の位置が正しい位置で、装置を作ってその咬合の位置を矯正してやると(つまりひょっとこみたいな顔になるようにしてやると)驚くなかれ、長年その患者を苦しめた腰痛やら肩こりやらあらゆる全身的愁訴が改善してしまうのだと。

◯山教授は大学に在籍中にこの咬合の極意を突き止めたけれど、それを医局員の誰にも教えず、その成果を一切大学に残さずに定年前に大学をみずから辞めたのだそうです。

椋木先生はその極意を悟ってから、歯を削ったり入れ歯を入れたりする治療をほとんどやめてしまい、全身的不定愁訴を持つ患者を相手に咬合改善の治療に没頭したそうです。

「廣田君、今度一度うちの診療室に来て見学したらええで。歯医者の診療室とは思えないような骨格模型などが置いてあるねんで。」と椋木先生は楽しそうに宣いました。

衝撃的な反面、ほんまかいなというのが正直な気持ちで、一度見学に行こう行こうと思いながら放置していました。

2010年の8月、「113年で最も暑い夏」といわれたあの夏のある日に、乗馬に出かけてくると家を出た椋木先生は炎天下で倒れて戻らぬ人となってしまいました。まだ59歳という若さでした。

◯山元教授から椋木先生に伝わった秘伝の咬合理論は幻と消えてしまいました。あの時見学に行って教えを乞うていたらどうなっていたでしょうね。

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