村上春樹氏の走り論

『学校で体育の時間に、生徒全員に長距離を
走らせている光景を目にするたびに、僕はい
つも「気の毒になあ」と同情してしまう。
走ろうという意欲のない人間に、あるいは
体質的に向いていない人間に、頭ごなしに
長距離を走らせるのは意味のない拷問だ。
無駄な犠牲者が出ないうちに、中学生や
高校生に画一的に長距離を走らせるのは
やめた方がいいですよと忠告したいんだけど、
まあ、そんなことを僕ごときが言っても、
きっと誰も耳を貸してはくれまい。
学校とはそういうところだ。学校で僕らが
学ぶもっとも重要なことは、「もっとも
重要なことは学校では学べない」という
真理である。』

〜村上春樹「走ることについて語るときに
僕の語ること」第2章人はどのようにして
走る小説家になるのか、より抜粋〜

33歳から走り始めたノーベル文学賞候補
作家村上春樹氏がこんな文章を書いている
のを読んで思わず笑ってしまいました。
全く同感です。

学校やクラブでは懲罰として走らされた経験
を持つ人が多いのではないでしょうか。
私もその一人です。中学1、2年の頃、英語の
テストが悪いと担当のフリン先生(アメリカ人)
に翌朝早朝ランニングを強要されました。
運動ができなくて走らされるのは意味がある?
でしょうが、英語ができないから走らされる
のは内心納得がいきませんでした。今から
思えば、早朝ランニングを日課にしておられた
フリン先生が試験を口実に生徒と一緒に走り
たかったのかなあ。

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