阪神淡路大震災1995を振り返る〜前章1994年の補足

1994年は私にとって激動の一年であったことを昨日述べたが、少し補足しておく。

阪大歯学部は元々中之島にあったので、学生時代から卒業してしばらくの間は明石の実家から通っていた。ところが、1983年に歯学部が中之島から吹田の万博跡地に移転することに決まった。

その一年前の1982年に私は親元から独立して吹田にマンションを購入して一人暮らしを始めた。その生活も一年で終わり、阪大が吹田に移転した時に結婚して新しい生活に入っていた。

普通なら大学に残りながら開業するなり勤務するなりある程度準備をしてから辞めるものだが、私の場合は「本能寺の変」よろしく突然辞めることを決意したので、1994年の前半は今は亡き父親と週末になると開業場所を探し回るような次第であった。

一度は大学に息子を取られてしまったと思っていた父親は思いがけず私が開業すると言い出したので一緒に開業場所を探し回る生活は久しぶりに親子の親密度が増して嬉しかったと手記に書いている。

紆余曲折あったが、6月には開業場所が内定して1995年の1月中旬から医院の内装工事に入って4月に開業予定で話を進めた。

ここで問題になったのが、明石の歯科医師会の入会問題である。歯科医院は保健所に申請して施設として認められたら開業はできる。弁護士と違って歯科医師会への入会は任意である。

明石で開業しておられた阪大の先輩の助けもあって入会は比較的スムーズに認められる勢いであったが、最終的に1995年1月13日(金曜日)に開かれた歯科医師会の理事会で入会が承認された。14日、15日、16日と連休であったので、連休明けの17日の朝にビルの玄関に広田歯科クリニック4月開業予定という貼り紙をする予定であった。

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