阪神淡路大震災1995を振り返る〜前章1994年から

1994年は私にとって激動の一年であった。

年初めに15年勤務してきた大阪大学を辞める決意をした。

大学辞職はかなり唐突だった。地獄のようなパワハラの吹き荒れる医局に嫌気がさしたこと、その前年に岡山大学の教授公募に応募して僅差で落選するという屈辱を味わったこと、40歳を過ぎてこのまま大学に残り続けるか開業するか最後の選択をする時期にあったことなど色々な要因があった上での決断だった。

卒業以来大学に残って教授になることだけを夢見て一心に働いてきたが、辞めて開業するという次の目標が決まった時点で、大学にはなんの未練もなくなり、開業準備に向けて進みだした。

しかし、卒業してから15年の間に、歯医者になれば誰でも儲かる時代は終わろうとしていた。これはと思う場所には歯科医院があふれており、開業場所を探すのは苦労の連続であった。

8月に12年住んでいた吹田のマンションを売り払い、神戸市西区美賀多台の借家に引っ越した。10月に退職するまで神戸から吹田まで通勤した。

大学を辞めてから開業するまでの間、垂水の野村歯科に非常勤でお世話になった。

したがって、1995年1月1日時点で、私は歯科のバイトをしながら開業準備を進めて、西区の借家に住んでいたのだった。

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