後悔なき航海

ガレー船から脱出した私は自分の船を自分で漕ぐようになったと書きました。

それはあてのない航海に出ているのではなくて、いわばフェリーのように毎日ある場所からある場所まで人や車を乗せて運んでいるようなものです。

それはそれなりにやり甲斐のある仕事ですが、ある意味同じことの繰り返しでもあります。若い頃はできるだけ多くの客を乗せて漕ごうとしましたが、だんだん年を取って慎重に少しづつ働くようになりました。

若い頃はやれ重たい荷物を運んだの、一日に2往復したのと数量を自慢したがります。若さとはそういうものですが、それがいつまでも続くとは限りません。

いつの日か、船を漕ぐのをやめて丘に上がるか、はたまた船を他の漕ぎ手に譲り渡すかという選択になるでしょう。

「一将功成りて万骨枯る」、大勢の奴隷の働きのもとに手柄をたてて辞めていくガレー船の司令官と、自分の手で漕いで辞めていく漕ぎ手と、丘に上がったら残された人生は同じようなものです。いや、丘に上がらずに船の上で一生を終えるという選択も後者にはできるかもしれません。

まあ、そんなことは相当先のことだろうと思うので、今は毎日気楽に船を漕いでいきます。少なくとも私は奴隷を犠牲にはしていないというのが誇りではあります。

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