康のこと

私の名前は康晃です。

小学校5年生の時からの親友で、昔は交換漫画文通をしていて、今は
私のマラソンの師匠の康夫という人物がいます。つくば市在住で、東京芸大
を卒業して長年教員をやっていましたが、今年の春で無事定年退職しました。

その康夫が、ちょっと体調を崩して先日から入院しています。入院生活は暇を
持て余すであろうから、私の助言に従って、康夫はブログを書き出しました。

ブログのタイトルが、「ヤッサン "遥かなる路コナロード"」

副題が「ハワイアイアンマン出場を目指す、オジンの戯言」

自分のことを「康」と称しています。

そのブログから一文を抜粋してみましょう。文中に「中学校の頃には小学校の
頃の友人と漫画で文通をし」とあるその友人が私であります。


⑰子供の頃の夢

 康が最初に赴任した土浦の学校での事。 美術教師であった康は、昭和59年度卒業生の保護者から、高等部の卒業記念にと、モニュメントの制作を依頼された。 そして康は、その年の夏休みを費やしてそれを完成させた。 この仕事は康にとって、学校の仕事の一環として請け負ったに過ぎなかったが、卒業生の保護者から、制作の礼金として5万円を差し出された。
 遠慮というものを知らない康は、それを素直にありがたく受け取ったのだった。 
 丁度その頃、近くのホームセンターで、45000円という格安のツーリングバイクを見つけた康は、あの昔の憧れに思いを蘇らせていた時だった。 当時まだ安月給だった身で、思わぬ収入を得た康は、迷うことなくその金をつぎ込んで、その自転車を買うことに決めたのである。
 康は冒険に憧れていた。中学校の頃には小学校の頃の友人と漫画で文通をし、世界旅行や漂流記を題材にした漫画を良く描いたりした・・・。 高校・大学では部活やバイトの忙しさに隠れ、そんな思いも心の奥底に突っ込まれ、逆に熟成されていたのかも知れない。 そして自転車を手に入れた次の年の夏休み、子供の頃から憧れていたバイクツーリングを計画する。 それは、連続12日かけて、つくばと明石を自転車で往復するというものだった。 康はこれまで、このような一人旅の旅行は一度もやったことがない。
 計画実行のため、さらに康は、自転車の後ろの荷台に積むパニアバッグや1人用テントなど野宿に必要なものを取り揃え、着々と準備を重ねていったのであった・・・。

コメント

人気の投稿